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こんにちは。


小春日和の今日は雲一つない穏やかな一日

でした。

11月も今日で終わりです。

明日からは師走に入ります。


振り返ってみると一年はあっという間に

過ぎてしまう感じです。



特に今月は40年来の話し方の恩師が亡くなったことで

心に大きな空洞ができたままです。



失ってみるとその存在感がいかに

大きかったかが日を増すごとに

強くなっていきます。



本来なら来月、米寿を迎えられるので

みんなで

お祝いをするつもりでした。

それが

まさか偲ぶ会になるとは思っても

みませんでした。



4カ月前に先生ご夫妻と仲間たちとで

3年半ぶりに銀座で食事会を開き

食欲も旺盛、お元気で和気藹々とした中

語っていた様子が思い出されます。


その後、時間のある人は星野珈琲で

一緒にお茶を飲みました。



コロナで親睦会もできずやっと今年の

6月に10人ほどが集まって和やかな

ひと時を過ごしたのです。



今、思うと先生ご自身はもとより

私にしてもそこにいたメンバーにしても

誰が4か月半後に先生が亡くなるなど

想像できたでしょう。



それだけに訃報を耳にしたときには

うつろな状態で立ちすくんでしまいました。




その後も仕事をしている時だけは

考えずに済みますが

それ以外は忘れていた事すら

次々に思いだされるのです。




しかも初七日が終わるまでは誰にも

知らせないようにとのご本人の意思だったようで

訃報を知った時には

既に火葬された後でした。




コロナ前とは違って今は病院に

お見舞いに行くことも難しく

しかも葬儀は身内だけで済ませてしまい

後から報告と言う形が多くなりました。





遺族にとっては深い哀しみの中

儀礼的な葬儀に追われることなく

ゆっくりと故人とのお別れが出来るので

それは良い事だと思います。





先生にはお子様がいらっしゃらず

残された奥様の事を考えれば

高齢でもあり、亡くなってまでも

負担をかけないようにとの配慮が

あっての事だったのでしょう。




一般的に子供がいても

親とは別々に暮らしている人が

多いだけに、親の付き合いはわからないという

ことから家族だけで執り行うケースが

増えてきました。




葬儀の在り方も一昔前とは

大きく変わってきたものです。





その一方で

故人とお付き合いのあった方たちは

お別れができない事で心の整理がつかないと

いう事もあると思います。



かといって最近耳にするのが

内々での家族葬にしても

数日たってから亡くなったことを

知った人が後からお線香をあげに

くるケースが多く

却って大変だというのです。




残された人が高齢であれば尚の事です。

人の出入りは負担になるだけだと思い

今はお手紙だけ書いて

しばらくはそっと見守ることにしました。




長く患って亡くなる人

突如亡くなる人

誰にも知らせずある日突然逝ってしまう人




いろいろです。

長く患っていれば、心配ながらも少しづつ覚悟が

できます。

誰にも知らせず逝き、後から知るのは

ある意味、美学のようではありますが

残された人たちはしばらくの間

現実を受け入れられないでしょう。



又、昨日まで元気だった人が突然

亡くなるという事だってあります。



昨日どころか、今一緒だったのに

次の瞬間、命を奪われるという事だって

現実に起きています。




そういう人達にとってはそれこそ時がそこで

止まってしまうでしょう。


友人たちと話しているとよく

「ぽっくり逝きたい」なんて皆言っています。

私にしてもそうです。



友人たちに限らず、多くの人が

望んでいる事ではないでしょうか。


子供たちに迷惑をかけたくない

周りに負担をかけたくない

との思いから

又、自身も長患いしたくない

といった思いがあるからでしょう。



そうなると第三者は

「子孝行」なんていいますが

果たしてそうだろうかと最近思うように

なりました。




確かに病気になれば子供たちも

周りも大変かもしれませんが

そこからいろいろな事を学べるはずです。



人間の最後のありようにしてもそうです。

誰でもがあり得るのです。



そして少しづつ死を覚悟して別れを受け入れて

行くのです。

そうして別れた場合、案外現実を

受け止められるものです。

私の両親の時がそうでした。

”見送った”

と言う思いがありました。




ところが突如その人がいなくなったり

急だった場合には、なかなか現実を

受け止めきれないような気がしてなりません。




心の整理をするまでに時間がかかるように

思えます。




いくら高齢だからと言って割り切れるものでは

ありません。

ましてや幼子や若い人の死は心が痛みます。




この世に生を受けた時から私たちは

死に向かって歩き続けているのですから

必ず訪れる事であり

自分は勿論、人との別れも

避けては通れません。

しかも、順番など関係ないのです。





ところが私たちはついそのことを忘れて

何かが起きてからうろたえるものです。





今月は恩師の死から

「死」についていろいろと考えた

一か月でした。



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