こんにちは。
幾分風は冷たく感じるものの日中は春の気配を感じるこの頃です。
姑が亡くなってかれこれ1ヶ月近くになります。
今、思っても生前の行いがよかったのか亡くなり方もいい逝き方だったように思えます。
毎月かかりつけの病院にいって検査だけは欠かさず行っていました。
これと言って特に悪いところはなく、いつも先生から「上等!」と言われ、それを電話で嬉しそうに話していました。
毎年12月に入ると大きな樽に白菜を糠で漬け
暮れ近くになると段ボール箱で送ってくれていました。
その白菜の糠漬けが絶品で何とも言えない美味しさでした。
お漬物が好きな友人・知人にも食べてもらいたくておすそ分けしていたほどです。
何時にも増してその人たちからの絶賛の言葉をおばあちゃんに伝えようと思っていた矢先の突然の死の知らせでした。
暮れに電話をした時は声も元気で100歳まで後、数年。
「100歳でも現役で白菜の糠漬けづくり!」
これも決して夢ではないと思っていました。
暮れも押し迫り、ちょっと具合が悪いという事で一緒に住んでくれている夫の妹が病院に連れていき
お正月が入るので大事をとって入院することになりました。
年が明け大きな病院に移り、検査をした結果問題がなかったので「来週退院」という事でした。
妹が言うには「普通にご飯も食べられるし元気だし・・・」 という事で退院の日を心待ちにしていました。
そんな中での突然の容態変化。
あっという間に風の如く逝ってしまいました。
97年の間、休まず動き続けてきた心臓の鼓動が徐々に弱まりそのまま止まってしまったかのようです。
それは生きとし生けるものの自然の姿であり生を全うした姿に思えました。
30歳そこそこで未亡人となり大家族の世話をし、若い頃は苦労が絶えなかったはずです。
しかも息子も娘も若いうちに高知を離れてしまい誰も頼らず一人で頑張って生きてきたのです。
頼らないどころか、寧ろいろいろな面で私たちを助けてくれました。
結婚して私が知っている母はよく話を聞いてくれる人でした。
自分は愚痴はこぼさず常に小さなことにも「ありがとう」と口に出来るのは苦労の結果でしょう。
私の中からは完全に姑と言う意識は消えていました。
晩年も人の相談に乗ってみんなから頼られた母。
宅老といういわばデイサービスにも毎日通い、いつしかそこでも長老になっていました。
お寺の行事にも毎回進んでお手伝いに行き昨年の11月にも行ったそうです。
苦労した分、様々な事が生きた知恵となったのではないかと思います。
突如、風の如く逝ってしまったおばあちゃん。
苦労をし、華やかさ等無縁の人生だったけれど皆に慕われ、惜しまれたその最後は何にも勝るほど誇らしく思えました。
人の価値はお金でも物でもなくどれだけ人の為に無心で出来るかそこにこそ人としての尊さがあるように思えました。
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