こんにちは。

久しぶりにブログを開きました。

下書きがあったので見ると1月12日の日付になっていました。

その日は仕事が一段落して夕方からいつものように

ブログを書き始めたのです。

その日、電車の中で目にした事を話題に取り上げ

書いていたところ一本の電話が入りそこで

ブログは中断されました。

 

そのまま開く事もなく日にちだけが過ぎ

今日まで来てしまいました。

そしてやっと今日ブログを開く気になりました。

 

下書きになったままの原稿はそのまま削除しました。

何故、中断されたのか。

書いているときに1本の電話が入ったからです。

その電話は夫からでした。

初めに「驚いては駄目だよ」と言ったので

楽観的な私は

「大金でも入ったのか」「仕事の注文がきたのか」など

瞬時に良いことが浮かびました。

すると

「おばあちゃんが亡くなった」

次の瞬間言葉が出ませんでした。

 

おばあちゃんとは主人の母

私にとっては姑に当たります。

暮れに電話で話した時には元気で

「このままなら100歳まで行くわね」と本気に思ったほどです。

今年97歳になる姑は声に出して笑っていました。

 

そのおばあちゃんが ”なんで?”と

しばらくは受け止められませんでした。

その日は火曜日。

土曜日に話す事がある人の緊急なレッスンが

水・木と入っており責任があります。

事情をお話し、その方が当日出来るように翌日

まとめてレッスンを受けていただいたことで

木曜日の朝一番の飛行機に乗ることができました。

暗いうちに家を出て羽田から高知空港に向かいました。

 

姑は30歳を過ぎたばかりで突然夫を病気で亡くし

それからは舅・姑、戦死した夫の兄の子供二人を引き取り

そして自分の息子・娘と6人の世話をしてきました。

和裁の仕立物をしながら生計の足しにしてきたと聞いています。

 

そこからは筆舌に尽くし難い苦労をしてきたはずです。

なのに驚く程前向きで愚痴もこぼさず、むしろ私の方が若い頃

実家の母よりも姑に愚痴をこぼしていたほどです。

黙って聞いてくれて最後に「それは○○が悪い」と言って

いつも夫より私の味方をしてくれました。

それに私もつい甘えていました。

若い頃は夫婦喧嘩をするたびに ”別れたい!” と思った事は

一度や二度ではありません。

でもそのたびに”夫の代わりはいても姑の代わりはいない”

何時もそう思ってきました。

子供が生まれ自然と「おばあちゃん」と呼ぶようになると

姑と言うよりは私にとって「おばあちゃん」と

思える感覚でした。

 

高知に向かう飛行機の中で忘れていた昔のことが

次々と鮮明に蘇ってきました。

どれもこれも楽しい思い出ばかりです。

 

いつでも夫より私の方が高知に行きたくなって

「飛行機代出すから高知にいこう」と夫を誘い

又、ある時は「飛行機の手配をするからおばあちゃんを呼ぼう」と

いつも言い出していたのは私の方でした。

暮れからお正月にかけても、おばあちゃんはこちらで年を越しました。

最後に上京したのは8年前の2013年5月。

前の年の暮れ、私がここ青山に話し方個人指導専門のスタジオを

開設したのでおばあちゃんに見てもらいたくて

呼んだのです。

 

当時88歳で一人で高知から住まいのある千葉県市川迄

出てこられるほど元気でした。

最寄りの駅まで一人で来られるという事で

電話が鳴って迎えに行くと前からゆっくり歩いてくる

見慣れたおばあちゃんの姿でした。

手には大きな風呂敷包みを抱えています。

 

何かと思ったら、高知のはりまや橋近くにあるお店で

お赤飯を一升頼んでおいて、来るときにそれを

受け取ってきたというのです。

私がお赤飯が大好きだからです。

88歳でお赤飯一升を抱えてもってきてくれたのです。

感動以外の何物でもありません。

 

時には私の一番上の兄夫婦や友人夫婦も誘い

一緒に高知の家に泊ったこともありました。

友人曰く「お兄さん夫婦ならまだしも何も関係ない私達

友人夫婦迄歓待してくれる等、もうびっくり!」と言うほど。

 

時には私のすぐ上の独り者の兄を誘って

一緒に帰ったこともありました。

 

普通なら姑が一人で暮らしている家に

いくら私の身内とは言え、連れて帰れるものでは

ありません。

でも姑であるおばあちゃんには自然とそうした事を

言える雰囲気があるから不思議です。

つい私も甘えて「今度一緒に連れて行ってもいい?」と聞くと

「ああ連れてきなさい。他のお兄さんも」と

気持ちよくいってくれるのです。

それは何よりも表情と声からわかります。

 

しかも行くと高知名物の皿鉢料理やらカツオのたたきなどを

ふんだんにご馳走してくれます。

一人暮らしですから決して生活が豊かなわけでは

なかったはずです。

でも身体が動くうちは親戚や知り合いの仕事を

手伝っていたようです。

普段はつましくしていてもそういう時は気持ちよく

ふるまってくれたのです。

 

走馬灯の如く次々に思い出しているうちに高知空港に

着きました。

コロナ禍という事もあり空港前のバスには

殆ど人がいませんでした。

はりまや橋迄バスで行き、その後

遺体が安置されている会館迄タクシーで行きました。

部屋に通されると奥に白い布団が掛けられ

そこに遺体が安置されていました。

傍に行き手を合わせ顔にかかっている布を

持ち上げました。

そこには小さくなった、でも懐かしく

穏やかな姑の顔が眠るようにありました。

 

 

注:享年98歳で突然風の如く逝ってしまった姑。その生き方は

まさに生きた知恵となって私の心に残っております。

その思い出を語ることが亡き姑への感謝となればと思い

しばらく続けさせていただきます。

 

 


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