こんにちは。

お昼を食べに久しぶりに外に出ました。

外は思った程、寒くはなく散歩がてら外に出ると

気分転換になります。

 

姑が旅立ってから早2週間が過ぎました。

これまでは無我夢中で目の前の事をこなすのに

精一杯でした。

少し落ち着いてくるとあれこれと蘇ってきます。

 

それと同時に元旦を迎えた時には12日後

まさか姑であるおばあちゃんが突然逝ってしまうとは

夢にも思いませんでした。

 

長患いをしていたわけでもなく、どこかが具合が悪かったわけでもなく

普通に生活をし、宅老と言ってデイサービスのようなところに

毎日行くのを楽しみにしていたのです。

毎年続けている白菜の糠漬けもたくさん作って

昨年の暮れに送ってくれたのです。

 

私が親しくしている友人の所のお姑さんと同じ年で

性格もよく似ていて頑張り屋。それぞれ元気で

何よりと思っていました。

 

ところが友人の方のお姑さんは3年前にふとした事から

入院し、一時は危険な状態にありました。

その後、何とか持ち直し今は施設に入っています。

コロナ禍で今は思うように面会もできないようです。

 

その話を聞くたびに、高知にいるおばあちゃんは

娘と同居し庭いじりも出来、宅老にもいけ

現役で漬物もつけるなど、元気で過ごせている事に

感謝しました。

 

ところが人生は本当にわからないものです。

その元気なおばあちゃんがあっという間に逝ってしまったの

ですから。

暮れに体調を崩し大事をとって入院しました。

今年に入って大きな病院に移り検査をしたところ

問題ないとの事で退院する予定でした。

それが容体が急変し、あっと言う間に亡くなってしまったのです。

今でも信じられません。

 

きっと60年前に先だったおじいちゃんが迎えに

来たのでしょう。

離れて暮らす私達息子夫婦、そして6年前から

一緒に住んでくれている夫の妹。

誰にも迷惑をかけず風の如くスッと逝く事を

願ったのかもしれません。

生前よく「ピンピンしていてコロッと逝きたい」と

口にしていましたが

まさにその通りになりました。

 

対面した次の日がお通夜、そして翌日の葬儀と火葬

あっという間の出来事でした

「大往生だから」と言っていた夫が泣いていました。

結婚して41年、初めて見た涙でした。

 

人はいつかは死ぬとわかっていても

矢張り別れは寂しいものです。

例えそれが天寿を全うしたとしても

遺されたものは心にぽっかり穴があいたような

虚しさを感じます。

いてくれるというだけで如何にその存在が大きかったか

日が経つにつれ感じています。

 

様々な苦労を乗り越え、そこから得た

知恵で人ともうまく付き合い、晩年は人に慕われ

惜しまれた母。

70歳を過ぎて高知から遊びに来た時

特別な事をしたわけでもないのに

「今が一番幸せ」と言った姑の言葉に

”なんてすばらしい!”と思ったものでした。

 

「今が一番幸せ」そう言える

生き方をしたいものです。

 

※亡き姑への思いは続きます。

 


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